4時ですよーだ

先日、関西ローカル番組について、長々と論じましたが、今回あの伝説番組と言われた『4時ですよ−だ』について語ろう。
『4時ですよ−だ』はダウンタウンをメインに1987年4月〜89年9月まで毎日放送MBS)で午後4時〜5時、月〜金の公開生放送。心斎橋筋2丁目劇場から。
ダウンタウンのほか、今田耕司東野幸治、ハイヒール、非常階段、石田靖圭・修けんた・ゆうた130R木村祐一など。
僕は見てなかったのですが、第1回に明石家さんまがゲストで来てたそうです。
客席は学校帰りまたは休んで来る女子中高生ばかりだったんですが、僕もこの番組が大好きで当時中3で授業が終わるとさっさと家に帰り見ていたものでした。家と学校の間が若干遠かったので急いで帰ることもしばしば。
今では考えられませんが、あのくさ〜いコールを浜ちゃんは毎日番組の最初にやってました。『用意して!』こぶしを握り(客席も)、『みんなノッテるか〜い!』とこぶしを挙げてスタート。『ノッテるかい』というフレーズは今では聞きませんよね。

月〜金にあらゆるコーナーがありました。ゲームありクイズあり。「フツーのコーナー」「ダウンタウンと遊ぼう」「私のスージー」「今田チャンスだー」などなど多数。番組後半の「ダウンタウンの欲望」というコーナーでは東野が担当。
また番組レギュラー陣で結成したバンド『うんこちゃんとそのつれバンド』もありました。ブルーハ−ツのナンバーを歌ってましたね。ボーカルはダウンタウンです。

番組の晩年になりダウンタウンは東京進出(笑っていいともなど)で番組の出演回数も減りました。司会は今田、東野、石田の三バカ大将が担当。一時はあの本木雅弘も司会をしていました。

そして番組終了の時が…。最終回はミリカホール(吹田)で2時間生放送。そのテープを僕は今でも持っています。
ダウンタウンを司会に、過去のコーナーや名珍場面を振り返りました。あのバンドも復活しました。フィナーレはダウンタウンをはじめレギュラー陣、そして客席のファンの子たちも大泣きでした。そしてダウンタウンは東京へ旅立ちました。

そして5年前の春、約10年ぶりに「4時ですよーだ」のレギュラー陣が2丁目劇場に集結。2丁目劇場が閉鎖することもあり、毎日放送『2丁目ファイナル ダウンタウンですよーだ』という特番が放送された。番組は公開収録で200人の定員に対し3万通の応募があったそうです。客層を見ると、当時中高生だった人が多かったようです。
そしてエエ年のオッサンになった浜ちゃんは仕方なしにあのくさ〜いコールを久々にやりました。『ノッテるか〜い!』を。さすがに恥ずかしかったみたいです。
番組では過去のコーナーを振りかえたり、番組の裏話、ダウンタウンにまつわるエピソードも。

今思うとめっちゃ懐かしいですわ。DVD化しないかなぁって。
当時、関西各局の夕方の公開生放送が盛んでした。関西テレビでは5時から『圭修5』。司会は「4時ですよーだ」を抜けた清水圭和泉修読売テレビでも5時から『ざまぁKANKAN』。司会は山田雅人森脇健児